中学生が夏休みにヒッチハイクで一人旅に出た話

中学生がヒッチハイクで一人旅に出た話です。

千羽鶴事件 ①

二度目の旅から帰ってくると、三年生のクラスは、すっかり修学旅行モードになっていた。

 例年、僕らの中学校は京都・奈良へ行くのが定番のコースだったのだが、今回はなぜか、広島へ行くことになった。

 噂によると、どうやらこの変更は僕が原因らしい。

去年の夏、僕は旅日記を提出し、それが職員室でも話題となったわけだが、その中でも、広島平和祈念式典に参加した記事が、先生方の間で注目されたそうだ。

そのため、今年は「広島で平和を考える」というテーマになったようだ。

そこで、修学旅行までの間、僕らは広島や原爆、戦争などについて、事前学習をすることになった。

そうした活動のひとつに、千羽鶴を折るというものがあった。

広島平和祈念公園内には、原爆症で亡くなった佐々木禎子さんを慰霊するため作られた原爆の子の像というものがある。

佐々木禎子さんは、ご自分が少しでも長生きできるようにと、祈りを込めて千羽鶴を折ったそうだ。

このことから、千羽鶴は平和のシンボルとなり、毎年、世界中から千羽鶴が送られ、原爆の子の像の周りに手向けられている。

だから、僕たちの学校もこれにならい、平和を祈って千羽鶴を折り、原爆の子の像に手向けようということになったのだ。

そして、どうせなら千羽鶴を折った数で、ギネス記録を狙おうという空気が出来、全校を挙げて、ひたすら鶴を折ることになった。

何万羽もの鶴を折るのだから、折り紙などを使っていてはお金がかかって仕方がない。

節約とエコを兼ねて、生徒たちはみな、家庭から新聞広告を山ほどかき集めた。

多くの生徒は、素直な気持ちで平和を願い、一生懸命に鶴を折った。

しかし、全校を挙げて休み時間の度に折り紙をしているわけだし、そのための紙も山ほど用意されている状況なのだから、ふざける奴が出てこないわけはなかった。

休み時間になると、ヤンキーや半ツッパが紙飛行機を作り、教室や廊下で飛ばして遊ぶようになった。

恥ずかしながら、僕も、あまりの紙の多さにウキウキして、紙飛行機を飛ばしてしまった。

平和を祈る千羽鶴を折る為の紙を無駄遣いするのは、少し悪いとは思った。

でも、小学生の頃から、図工だけは少し得意だった僕としては、そこに紙がある以上、紙飛行機を折らないではいられなかった。

 休み時間のたびに、隣のクラスの沢勉の所まで行って、良く飛ぶ紙飛行機の研究に没頭した。

沢勉は、最初こそ、

「リョウくん、飛行機ばっかじゃなくて、ちったあ鶴も折りない」

と言って僕をたしなめた。僕も、

「たしかに、あんまり遊んでばかりも悪いな」

と思い、五十対一くらいの比率で紙飛行機と鶴を折った。

 しかし、僕の紙飛行機研究がカタパルト式の紙飛行機を開発するに至ると、沢勉も創造意欲をかき立てられたようで、我々は共同で研究開発を始めた。

「教授、手投げ式の方法はどうしましょうか」

「うむ、今回は機体が大きいので、野球投げではなく、サイドアームランチ(野球でいうサイドスロー)を採用しよう」

 こんなふうにふざけた会話をしながら、僕達は、アップル創業期のスティーブ・ジョブズとウォズニアックが自宅のガレージで発揮したようなクリエイティビティーを、休み時間の教室で発揮していたのだ。

 僕は、この紙飛行機研究が非常に楽しく、

休み時間におおっぴらにこんなことが出来る時間を与えて、生徒の創造力を伸ばそうとするなんて、ウチの学校も意外に良い教育をするじゃないか。

と思っていた。

ところが。。。

千羽鶴事件②へつづく)

中3の夏 旅日記 8月24日(火) 埼玉~掛川

朝起きて、ガソスタの人にお礼を言って別れ、ヒッチハイク開始。しばらくして車が止まる。ご夫婦で旅行している人で、高速のパーキングまで乗せてもらった。

そして、そこでまたトラックの人に交渉して横浜まで乗っけてもらった。そしてまたヒッチをする。一時間ぐらいで18歳の兄ちゃんの車が止まってくれた。そして、横浜をしばらく観光させて回ってくれた。

そして、途中で降ろされ、そこから5時間ほど歩く。そして平塚のあたりからまたヒッチ開始して車を止める。そして小田原まで乗せてもらい、また乗り継いで沼津あたりまで来て、最後のヒッチ開始!トラックが止まってくれた。浜松まで行くので、そのまま掛川まで乗せてくれた。

そしてついに掛川まで帰ってきた。こうしてこの旅は終わった。とっても楽しい旅だった。今度はインドに行こうと思った。

 

                   ヒッチハイク一人旅 中3編 

 

中3の夏 旅日記 8月23日(月) 小樽~埼玉

今日は朝、橋さんと堀田さんと別れた。三人で旅したことはとても楽しかった。また絶対に会いたいと思った。

そして、5号線でヒッチハイクを始めた。するとすぐにトラックの運ちゃんが止まってくれた。そして余市まで乗せてもらい、積荷をおろすのを手伝って別れた。

そして、しばらく座ってボーッとしていると、一台のワゴンが止まる。なんとヒッチハイクもしていないのに止まってくれた。この人は元ヤクザで、裏の世界のことをいろいろ教えてくれた。イレズミも見せてもらった。驚いたのは、この人にラーメンをおごってもらった時、代金がタダでオーケーだったことだ。そして函館まで送ってもらい、別れた。

そこからフェリーに乗るのだが、金を払いたくなかったので、トラックの運ちゃんに横に乗っけてもらい、密航した。そして、内地に着いてからも東京のあたりまで乗せてくれた。積荷をおろすのも手伝った。魚介類で、すごく重くて疲れた。夜三時ごろ仕事が終わり、牛丼屋でメシをおごってもらえた。そして別れ、ガソリンスタンドへ行って交渉し、今日はガソスタで寝れる。

中3の夏 旅日記 8月22日(日) 黄金岬~小樽

朝、黄金岬から出発する。今日は何とトライアスロンの世界大会が行われていて、道路が通れなくなっていて、かなり足止めを食らった。

チャリンコの通るのを待っていると、警察の誘導ミスでトラックの運ちゃんと軽自動車が追突して事故ってしまった。しかし、警官は何も言わないで、トラックの運ちゃんがかわいそうだったので、むかむかしていたら、橋さんが、

「おまわりさん、あんたの誘導ミスで事故っちゃったんでしょ!」

と怒っていた。

 それから、何とかそこを通ることが出来て、小樽の方へ行った。そして、うまくて安い店へ行くために、小樽の隣の余市へ行った。そしてそこにあるお店に入った。 なんといくら丼が580円だった。それも漬物と味噌汁つきでだ。

 そして小樽に戻り、小樽市内を観光してからフェリーターミナルで今日は寝る。

中3の夏 旅日記 8月21日(土) 富良野~黄金岬

今日は朝八時ぐらいに起きた。ヒッチハイカーのRYO2を駅に送っていき、別れてから残った三人で層雲峡の方へ行った。ロープウェイで黒岳へ登ったり、流星の滝へ行ったりした。

そして夕方になって、留萌まで行った。なぜかというと、23日には堀田さんが小樽から帰らなくてはならないので、明日あたり小樽に着かねばならないからだ。

そして、そこでライダーハウスを探し、見つけたライダーハウスに行ったのだが、堀田さんのような車とかの旅人は泊まることはできないといわれた。めちゃめちゃむかついた。そんなの同じ旅人なんだからいいじゃないかと思った。

そして夕食を食べに「カレー大将」というカレー屋に行き、カツカレーを食った。そして今日は黄金岬の所で寝た。

中3の夏 旅日記 8月20日(金) 釧路~富良野

今日は八時ぐらいに起きた。会計の時、堀田さんが5000円中3000円出してくれると言ってくれたが、そんなことはできないと断り、全額支払った。

それから民宿を出てワイン城に行くことになった。なぜかというと、今日は雨が降っているので景色が良い所に行ってもしょうがないからだ。ワイン城では、ワインを作っているところを見学できた。その他、ワインの試飲もできた。

それから、『北の国から』の撮影もやったことがある、何とかの森に行った。別に何もおもしろくなく、森の中にボロッちい丸太小屋があるだけだった。

そして、その駐車場から車で出ようとすると、そのちょっと出た所でヒッチハイカーがヒッチハイクをしていたので、止まってみると、小樽駅に行くというので乗ることになった。しかし、途中で小樽駅はやめにしてこれから一緒に旅をすることになった。こうして23日までの三人旅が始まった。

そのヒッチハイカーの名前は橋さんという。去年はバックパッカーニュージーランドを旅した人で、今年は北海道をヒッチハイクで旅しているという。しかも、面白いことにロングスケボーに乗りながらヒッチハイクしているという。本当にいろんな人がいるものだ。

そして、三人で「富良野拓真館」へ行った。この「拓真館」というのは、プロの有名なカメラマンの人がやっている写真館で、富良野のすごいきれいな景色や大自然の様子を写真におさめたものがたくさん飾ってあった。

その写真館を出た後、すっかり影響された三人は、自分もプロカメラマンになったつもりになって「拓真館」の近くの景色の良い所で写真を撮りまくった。しかし、富良野はマジで景色が良かった。時間的にもちょうど夕日が沈む頃で、とても印象に残る景色だった。

そして今夜の宿を探すことにした。しばらく探すと、「ハチの宿」というライダーハウスを発見した。僕にとっては2回目のライダーハウスだったが、とてもかっこいいライダーハウスだった。普通のプレハブ小屋と炊事場があって、電車を改良した部屋などもあった。

すごくたくさんの旅人がいた。ライダーやチャリダーはもちろん、僕らと同じヒッチハイカーもいた。彼は亮治さんといって、僕と少し被るので、あだ名はRYO2になった。

それから、今日の夕食はみんなで金を出し合って水炊きパーティーをやることになった。水炊きもうまかったが、みんなとたくさんいろんなことを話せてとても楽しかった。そして夜も遅くなったので、今日はもう寝た。

中3の夏 旅日記 8月19日(木) 網走~釧路

朝八時ぐらいに起きた。そして旅館を出て、今日は釧路湿原の方へ行くことになった。途中、クッシャロ湖や摩周湖も見て回った。摩周湖は、いつも霧がかかっているらしく、今日も霧がかかっていた。

 そして、釧路湿原に行き、展望台から全体を見ると、あの蛇みたいな釧路川は見えなかったが、すごくきれいな自然が見えた。そして、遊歩道とかへ行くと、またもやヒグマが目撃されたため通行止めの所があった。北海道は本当にクマが多いんだなあと思った。

 それからその後、今日の宿の民宿「丹頂の里」へ向かった。「丹頂の里」へ着くと、その民宿のおばあちゃんと、でっかい馬が迎えてくれた。そして、挨拶をするとそのおばあちゃんが、馬についての説明を30分ほどされた。

 それからその宿に入ると、すでに泊まっている人がいた。その人はタンチョウの研究をしている人で、、前に乗せていただいたクマ研の人と同じ北大の人だった。

 そして夜、夕食をいただいた。名前は忘れたが、珍しい魚がメニューに出た。それからもう寝た。