猿岩石のヒッチハイク
それからというもの、学校へ行くのが苦痛で仕方がなかった。
学年が変わって、二年生になっても、状況は大して変わらなかった。
毎日、下校途中の歩道橋から、はるか遠くのどこかへ通じる国道一号線と、山の向こうへ沈んでゆく美しい夕焼けを見ては、
「この道の先は、どこへつながっているんだろう。あの山の麓には、どんな人々が、どんな暮らしをしているんだろう。俺は、毎日あのふざけた学校で、下らない人間に囲まれて、つまらない日々を過ごしているが、ここから飛び出して、まったく違う土地へ行ったら、もっと面白いことが待っているんじゃないだろうか。」
と、こんなことばかり考えていた。
それからは、来る日も来る日も、つまらない日常から飛び出して旅に出ることばかり考えていた。だが、中学生の僕には、お金も移動手段もないし、遠く知らない土地へ旅に出るなど、夢のまた夢だった。
そんなある日のことだった。
数学の授業か、理科の授業だったか忘れたが、事情があって先生が来られなくなり、自習になったことがあった。
自習といっても、自由にさせたらかえって騒ぎ出すと思ったのだろう。
代理で来た先生が持ってきたビデオを、その授業中に見ることになった。
このビデオが、僕の運命を変えることになる「猿岩石」のユーラシア大陸ヒッチハイク横断旅行のビデオだったのだ。
「猿岩石」は、今でこそメンバーの一人、有吉弘行が毒舌キャラで人気者になっているが、この企画をやる前は、まったく無名の若手お笑いコンビだった。
ビデオの内容は、数々の奇抜な体当たり企画で有名な、伝説のテレビ番組『進め!電波少年』内の企画のひとつで、だまされて連れてこられた若手お笑いコンビ「猿岩石」が、香港からイギリスはロンドンまでヒッチハイクだけで旅をするというものだった。
僕は、このビデオに、とてつもなく影響を受けた。
アジアやヨーロッパの、様々な国々の、多種多様な文化を持つ人々のなかを、たいしてお金もないお笑いコンビが、あるときは野宿をしながら、あるときは危険な目にも遭いながら、ヒッチハイクだけで旅をしていく。
そんな姿に、ものすごく勇気づけられ、気づいたら、
「これだあああああ!」
と雄たけびをあげ、椅子をひっくり返して立っていた。
クラスの連中は、ハブられてついにおかしくなったと思ったのだろうか。
彼らは、怪訝そうな顔でこちらを見ていた。
だが、この時の僕はこんな連中にどう思われようと、もうどうでもよかった。
「この方法なら、ヒッチハイクなら、お金も車もなくても、親指を立てるだけで遠くにいける。こんな下らない日常からひとまずおさらばして、広い世界を見るんだ!」
そう思うと、何だか希望の光が見えたようで、体中から力が湧いてきた。
握り締めた拳は、この時もブルブルと震えていた。
でも、この時の武者震いは、すごくワクワクして、心地よいものだった。
思い込んだら猫も真っ青なほどまっしぐらな僕は、家に帰るとすぐ、旅に出る計画を立て始めた。