中学生が夏休みにヒッチハイクで一人旅に出た話

中学生がヒッチハイクで一人旅に出た話です。

旅立ち

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 ちょうど梅雨があけた頃、夏休みに旅に出ることを決心した僕は、小学生時代から今までため続けてきた貯金を下ろし、旅の資金にあてることにした。

貯金は3万円くらいしかなかったが、ヒッチハイクなら交通費はかからないし、野宿をすれば宿代も浮かすことができる。

そう考えると、3万円もあれば十分足りるような気がした。

まず、3万円の内、1万5千円くらいで旅の道具を揃えた。

道具といっても、本格的なものではない。

リュックサックに、寝袋、トイレットペーパー、懐中電灯、雨具、使い捨てカメラ、テレホンカード、洗面用具、日本地図。

せいぜいこのくらいの物を買い揃えて、リュックに着替えやタオルを詰めて旅に出ることに決めた。

これで、旅の準備は出来た。

あとは、どうやって先生や親の許可をもらうかだ。

「一応、グレていたのだから、教師や親の許可なんかいらねえだろ!家出しちゃえよ!」

と思うかもしれない。

でも、家出したところで、何の力もない小僧が一人で生きていけるほど、世の中甘くないことぐらいわかっていた。

どうせ家出してもすぐに帰ってくるくらいなら、あらかじめ許可をもらったほうが、あとあと面倒くさくないと判断したのだ。

それに、旅日記を夏休みの研究として提出して、楽をしようという魂胆もあったから、先生の許可はなんとしても必要だったのだ。

とはいうものの、中学生がヒッチハイクで一人旅に出るなんて、親も先生も許すはずがない。

そこで、僕は少しだけ嘘をつくことにした。

それは、ヒッチハイクのことはおくびにも出さず、

「徒歩で、静岡県内の東海道五十三次を巡る旅に出たい。」

というものだった。

 これなら、ヒッチハイクほど危なくもないし、場所も静岡県内ということで、何かあっても何とかなりそうだ。

 そのうえ、東海道五十三次巡りというのは、夏休みの歴史の研究として悪くはない。

さっそく、親から説得にかかった。

もともと、ウチの親は息子が何をしていようとあまり関知しない自由放任タイプだったので、許可をもらうのに苦労はしなかった。

問題は先生だったが、親が許可しているということで、こちらもあっさりオーケーしてくれた。

親も先生も、キャンプの少し長いものをやるという程度の認識だったようだ。

 

こうして僕は、旅の道具も揃え、許可ももらい、正々堂々と(?)、いよいよ旅に出ることになった。

目的地は特に決めず、いざというときのために、親戚や知り合いの多い「西へ」と、方角だけ決めて。

とにかく出来るだけ遠くまで行こう。

つまらない学校のことも、下らない連中のことも、しばらくは忘れて、いろんなものを見よう。

自分では何一つ出来たためしがないくせに、常に何かの威光を笠にきて、絶えず周囲の空気を気にしていた、醜い自分に別れを告げて。

これからの旅では、すべて自分で判断しなければならない。

誰も自分を知らないからこそ、虎の威を借ることなく、剥き出しの自分で勝負しなければならない。

旅から帰ってきたとき、何の取り柄もない自分も何者かになっていることを願って、僕は旅に出た。