二度目の旅立ち
こういうわけで、三年生の夏休みに再び旅に出ることになった。
今回も、松浦先生は簡単に許可してくれた。
松浦先生だけでなく、もう学校全体が、僕の旅を応援してくれるような雰囲気だった。
松浦先生は、旅の許可を出してくれるだけでなく、旅のテーマを設定する手伝いもしてくれた。
当時、僕の通っていた中学校では、生徒会が主体となって、YAP運動なるものを推進していた。
YAPとは、Y(やさしさ)、A(アクション)、P(プログラム)の略だそうで、簡単にいうとボランティア活動を積極的にしましょうというクソ面倒くさいものだった。
この運動の一環として、夏休みの宿題としてひとり一回は必ずボランティア活動をやるということになっていた。
僕は、
「自発的にやらないならボランティアじゃねーじゃん。」
と思ったし、
「高校進学の際の内申点向上の為にボランティアする奴らとか死ね」
と思っていたので、なんとかヒッチハイクに絡めて簡単に済ませようと考えた。
その旨を、オブラート二百枚くらいに包んで松浦先生に言うと、
「じゃあ、前回の旅でお世話になった人々をもう一回訪ねて、恩返しになにかお手伝いをしてくるというのはどうだ?」
と、アイディアを出してくれた。
なかなかいい案だったが、僕は今まで行ったことのない土地に行ってみたかったので、この案は却下した。
そこで、折衷案として、これから旅でお世話になる方々に、恩返しとして何かしらお手伝いをするということになった。
旅のテーマの設定に関しても、
「ちょうど、青森でねぶた祭りとかが開催されるから、東北四大祭りを巡る旅なんてどうだ?」
などのアイディアを出してくれた。
結局、旅の日程を祭りのタイミングに合わせるのが難しいということと、ただ冒険を楽しみに行くだけの旅というものに、勉強的なニュアンスを含ませようとする教師的発想が気に食わなかったので、この案はボツとなった。
いろいろ話し合った末、今回の旅のテーマは
「日本最北端の地」、北海道宗谷岬をめざす!
というカッチョイイものになった。
これをやり遂げたら、前回の旅と合わせて中学生のうちに日本をザッと見て回ったことになる。
それって結構カッコいいんじゃないかと思った。
こうして、旅のテーマも決まり、旅の道具も揃えた。
スタート地点は、学校生活に悩んでいた時、よく遠くに沈む夕日を眺めていた、あの歩道橋の下。
そこから延びる国道一号線から、今度は百パーセントわくわくした気持ちで、ヒッチハイクを始めた。