修学旅行
その後は、修学旅行までの事前学習として、原爆に関する写真や絵などの芸術作品を体育館に展示したり、広島から被爆体験の語り部の方を招いてお話を聞いたりして、理解を深めていった。
千羽鶴については、全部で八万羽くらいは折ったと思うが、ギネス記録を更新したかどうかは憶えていない。
こうして、さまざまな準備を終えて、いよいよ修学旅行に向かったわけだが、残念ながら修学旅行のことはあまり印象に残っていない。
おそらく、中2、中3と、一人で気ままにフラフラしたり、出会った人と自由にパーティーを組んだ旅が面白すぎて、みんなで集団行動をしなければならない修学旅行がつまらなかったのだと思う。
ただ、ひとつだけこんなことを憶えている。
修学旅行先の旅館でのことだ。
部屋のメンバーとウノをやるのが面倒くさかった僕は、一人でふらふらと旅館の廊下を歩いていた。
すると、階段の方から、
「なにガンくれてんだ!てめえ!」
という怒鳴り声が聞こえた。
持ち前の野次馬精神を発揮して駆けつけてみると、階段の踊り場で、ヤンキーがぼっけーの胸ぐらをつかみ、因縁をつけていた。
どちらも僕と同じ中学の生徒だ。
「修学旅行先まで来て、同じ中学校のやつ同士で何やってるんだか」
壁際から様子を伺いながらそう思ったが、よくよく見ると、脅されているのは沢勉で、脅しているのはゴツオだった。
モヤシっ子の沢勉は、ゴツオに小突かれて、膝がガクガク震え、もう少しでちびりそうになっていた。
そうしている内に、騒ぎを聞きつけたのか、リュウちゃんとかっつんがやってきて、沢勉を取り囲んだ。
三年生になっているので、奴らはもう、一年の時のひよっこヤンキーじゃない。
髪型も、リーゼントやツーブロックになっているし、金髪もいる。服装も含めて、もはや正真正銘のヤンキーだ。
ゴツオに至っては、180センチを超える巨体に成長していた。
そんな奴らが、モヤシっ子の沢勉を取り囲んでいるのだ。
「ゴツオ、どうしたよ?」
「なんかあっただか?」
二人がニヤニヤしながら尋ねた。
「このぼっけーが、俺にガンくれてきたんだわ」
「へえ、このガリ勉小僧が」
「テメエ、どういうつもりだゴルア!」
沢勉は、半泣きの状態で、
「あ、あの…ぼっ、僕は…そんな」
と、弁解も出来ずおびえるしかなかった。
ゴツオはいきり立って、
「ああ!コルア!なめてんのか!」
と怒鳴り散らす。
三人は、面白いおもちゃでも見つけたかのように、沢勉の尊厳を無視して、ニヤニヤしながら小突き回し始めた。
僕の目の前で、沢勉の尊厳が踏みにじられていく。
でも、僕の体は動かない。
正直、怖かった。三人とも、恐ろしげな格好をしているし、ゴツオは一年の時ですら僕よりはるかに強かった。それだけでもヤバイのに、今では、僕との体格差は10センチ以上開いている。そのうえ、三対一では絶対に勝ち目はない。
沢勉は、真面目なぼっけーだったから、ケンカをしたり、大声で怒鳴ったりしたことはない。
クソヤンキーどもには、そんなぼっけーの沢勉にも、自分達と同じように、反骨精神や、悔しさや、男としてのプライドがあるということなど、想像すら出来ていないのだろう。
でも、僕は知っている。
僕がこいつらに無視されて孤立していた時、沢勉は、表立って反抗こそできなかったものの、心の中で、ずっと悔しさを抱えていてくれたことを。そんな悔しさを払拭する為に、弁護士を目指していることを。そして、こいつが本当に度量の広い男で、僕の唯一の親友であることを。
「おいコラア、なんとか言えよ。僕ちゃんよお~」
ゴツオが、沢勉の髪をつかんで、頭をぐりぐり回しはじめた。
「あー?死ねよオラ!」
かっつんが、沢勉のふとももにローキックを入れた。
「ぎゃあ!」
沢勉の細い足が曲がり、体が崩れ落ちた。
「うひゃうひゃ!なんも抵抗できネエでやんの」
「オラー、生意気なんだよガリ勉があ!」
廊下に倒れた親友を、奴らは、よってたかって蹴り始めた。
僕の、目の前で。
沢勉は、誰がなんと言おうとも、僕の唯一の親友だ。いつも隣にいてくれて、僕を心配してくれた。僕がどんな仕打ちをしても、いつも笑って許してくれた。そんな彼に、僕は何が出来ただろうか。なんにも出来やしなかった。今まで彼にもらった恩を、返すことが出来るとすれば、この日を置いては他になく、旅を通して今まで僕が、ずっと学んできたものが、勇気だったとするならば、この日の為に学んできたんだろう!
「何やってんだゴルアアアア!」
僕は全力で雄たけびをあげ、ゴツオに殴りかかった。
「うわあ!」
「なんだよテメエ!」
突然僕が現われて、三人ともひどく混乱した。
僕の拳は、ゴツオの長いリーチに阻まれて、届かなかった。
「何考えてんだ!タナカ!」
ゴツオはとっさに両手で僕の胸板を弾き、僕は壁に叩きつけられた。
「痛えなコラア!」
僕は、ダメージを受けながらも、悪態をついて虚勢を張った。なめられない為だ。
「いきなり、なんだよタナカ!引っ込んでろや!」
ゴツオは、興奮した様子でこう言った。
かっつんも狼狽しながら、
「な、なんでタナカがからんで来るんだよ!」
と突っかかってきた。
かっつんは金髪のツーブロックで、短ランをはだけさせ、中からピストルズのバンドTを覗かせていた。典型的な田舎のイキガッってる中学生だ。
僕は、こいつのような一人では何も出来ず、集団でつるんでは弱いものいじめばかりする奴が、いっちょまえにパンクス気取りでいることにも腹が立ってきた。
別に、僕自身はパンクに思い入れがあるわけではないが、空気を読んじゃって宮仕えのようなヤンキー生活をしている奴が、反骨を気取っていることに腹が立ったのだ。
「ごちゃごちゃうるせえよ!このクソボケッ!なに俺の親友に因縁つけてんだよ!弱いものいじめして、ダッセエな!てめえのハイカットのコンバースを切り刻んでローカットにしてやんぞ!」
思わずこんなセリフを口走っていた。
「はあ?親友?こんな奴と?キモイわバカ!」
かっつんはこう罵ってきた。
その間に沢勉は奴らの包囲を抜け出し、僕の後ろに隠れた。
「リョ、リョウくん、ごめん」
「何で沢勉が謝るんだよ!何か悪いことでもしただか?」
「う、ううん。僕ガンなんてくれてないよ。ちょっとチラっと見ただけなのに」
「ああ!うるせえ!ぼっけーがいっちょまえな口きいてんじゃねえよ!」
ゴツオがいきり立ってほえた。
「黙れクソゴツオ!いつもいつも真面目に生きてる奴をコケにしやがって!てめえらヤンキーはマジカッコわりいな!」
「あんだと!ぼっけーみたいに、真面目くさって先公のいいなりになって、お勉強ばっかやってる奴らより、ずっとマシだわ!ぼっけーなんか学校や勉強のことしか知らんで、社会に出たって面白みのない大人になるだけだら。その点、ヤンキーの方が、若い頃からいろんな経験をするもんで、厚みのある大人になるら。ボクシングの世界チャンピオンだって、俳優や社長にだって元ヤンキーは多いじゃんか。テレビでも、元ヤンキーの教師とか、ヤンキーをテーマにしたドラマが多いだろうが!そんだけ、ヤンキーは魅力的だってことだら。それに、世間や先公には色眼鏡で見られて、悔しい思いをするヤンキーだって多いだで、人間として幅が出来るだよ!ぼっけーなんかカスだ!」
「あははは!笑っちまうわ!ゴツオ、お前バカじゃねえの?あー、マジいらいらしてきたわー。確かに最近、世の中じゃ、テレビドラマでもマンガでも、ヤンキーや元ヤンキーを主人公にしたもんが溢れているら。そのうえ、元ヤンキーの俳優や、アイドルはおろか、ヤンキー先生や予備校講師、元ヤン弁護士まで登場してきて、元ヤン業界は大盛況だら。マジ笑えるわ。最初は、そもそもヤンキーには悪いイメージがあって、そんな悪いイメージのヤンキー達が、逆に正しいことをやったり、大活躍するのが面白くて、ドラマやマンガがヒットしただら。だけん、今ではそれが一周回って、「ヤンキー=カッコいい」ってなってる気がするわ。そのせいで、いい大人になってからも、飲み会の席なんかで、「俺も昔はワルかった。」なんて、さもワルかったことがステータスであるかのように、謎の自慢話を繰り広げるゴミクソ人種が発生してるわけだら。だけん、俺はこういう風潮は、絶対におかしいと思うわ。元ヤンキーの学校教師なんかが、よく「不良少年の気持ちは、元不良にしかわからない。そんな不良たちを救ってやるために、教師になった。」みたいなことを言うけんが、そもそも、お前らなんか、そんなにかわいそうかねえ?もちろん、家庭環境が悪かったり、さまざまな事情があってグレちゃう奴もいるら。でも、いろんな事情を抱えているのは、真面目な奴だって一緒だし、同じような環境でも、グレん奴はグレんわ。それに、たとえで出しちゃ悪いかも知れんけど、沢勉のウチは母子家庭だしな」
「うん、そうだよ」
「な。でも、いや、だからこそ、沢勉は真面目にしっかり頑張ってるとこあるじゃん。それってスゴイことだと思うし、カッコいいわ。それに引き換え、クソゴツオ!」
「ああ!なんだ!」
「お前の親父は金物屋の社長だし、お前のウチは金持ちじゃねえか!家庭のことだから、何も問題ないだろうとまでは言わんけど、少なくとも恵まれた環境の奴が、反骨気取ってんじゃねえよ。ダッセエな。それにな、実際のところ、学校生活じゃお前らヤンキーとかの問題児や、いじめられていたり、ひきこもっていたりする奴の方が、注目されやすいじゃんか。先生方は、そうした「問題を抱えている生徒」に時間を割くことに精一杯だ。そのかげに隠れて、大多数の「真面目な普通の生徒」は、問題がないだけにほったらかしにされてるじゃんか。本当は、「真面目な普通の生徒」だって、それなりに事情を抱えているし、不安や不満、反抗心だって持っているのに。なあ、沢勉」
「ふうう、ふふう、うん。うん」
沢勉は、唇を噛みしめて泣いていた。
「それなのに、今の世の中は、クソヤンキーなんかの目立つ生徒を過剰に評価しすぎだろ。たとえば、元ヤンキーで活躍しているクソみたいな大人の多くが、「道を踏み外したり、グレていた奴ほど、いろんなつらい思いをしているから、優しい人間になれる。ケンカをしたり、暴れたりしたのは、エネルギーが有り余っていたからで、それを正しい方向に向ければ、普通に行儀良く真面目にやってきた子供より、すごいことが出来るんだ。」とかぬかしゃあがる!マージーで、ふざけんな!まるで、「真面目な普通の生徒」が反抗心もエネルギーもない、まったく面白みのない人間であるかのような言い方じゃないか。何回も言うけど、「真面目な普通の生徒」だって、不安や不満を抱えているし、社会の不条理に対する反抗心もエネルギーも、お前らゴミクズヤンキーと同じくらい持ってんだよ」
すると、今まで黙っていた沢勉が、溜まっていたものを吐き出すかのように話し始めた。
「そうだよ。でも、そうした不満や反抗心を、君ら不良の人たちがやっているみたいに、先生や近所の人達や、自分より弱い生徒にぶつけたりしても、仕方がないってわかっているから、人に迷惑を掛けるのは、筋違いだってわかっているから、我慢して耐えているんじゃんか。僕らは、君らがバイクに乗って暴走行為をしたりして、近所の人に迷惑をかけているエネルギーを、スポーツや勉強に打ち込んだりして頑張ってるのに。元ヤンキーの人達は、自分たちが被害者で、僕らの何倍も、つらい思いをしてきたようなことを言うけど、君らが偉そうな態度を取って、僕らを威嚇したり、集団の力を笠に着て、ニヤニヤした顔で僕らを馬鹿にした時、どれだけ僕らの尊厳を踏みにじって、僕らの心を殺してきたか、全く自覚してないじゃんか。はっきり言って、どんな事情があったかは知らんけど、勝手にグレて、他人に危害を加えたり、他人の尊厳を踏みにじってきたことが、誇れる過去であるはずがないじゃんか。元ヤンキーの人達は、普通に行儀良く真面目にやってきた人間が、好き好んで真面目にしてきたと言いたいみたいだけど、好き好んで何でもかんでもしっかりこなせるもんか!僕らは、他人の迷惑を考えて、大人の行動をしてるだけじゃん。僕らだって、理不尽な大人の事情とか、社会の仕組みとかに対して、反抗心を抱いてはいるけど、先生方や親に反抗して迷惑をかけても仕方ないことをわかっているから、我慢しているだけだよ!君らのように、他人の迷惑を顧みず自分の感情を優先して暴れまわったりしないだけだよ!君らは、自分の心の弱さが原因でグレてしまっただけなのに、いろんな先生に手をかけてもらって、社会からも「カッコいい」とかいう評価を受けておきながら、それでも普通の僕らに迷惑をかけ、尊厳を奪っているんだ。僕は、そんな人間を絶対に評価しないし、絶対に許さない!」
「そうだそうだ!大体お前らな、色眼鏡で見られるって被害者ぶってるけど、そんな格好することで、バカ女どもにはモテるわけだし、道を歩けば怖がられて、道を譲られるわけだし、十分メリットを受け取ってるじゃんか。そんだけいい思いをしてきておいて、「先公め、あいつら色眼鏡で見やがって!」なんて、よく言えたもんだな。どうせお前ら、本当はそんなこと思ってやしないんだろう。ただ、よくドラマで使われるセリフを、何も考えずに使ってるだけなんだろう。それで、そんなセリフを言ってれば、なんか社会に排除されたアウトロー気分と被害者意識を同時に味わえるから、とりあえずそう言ってるだけだろうが!それからな、お前ら、ヤンキーの方がいろんな経験するって言うけど、そんなの、族の集会に出入りしたり、ケンカしたり、パチンコやスロットやったり、そんな下らないことばっかじゃないか!しかも、全部マンガに出てくることばっかで、意外性ゼロ!しかも、経験しようと思えば簡単に経験できることばっか!お前らの足りない頭の中で、創造できるスゴそうでワルソそうなことを、「経験」って言ってるだけだら!マジで、バッカじゃねえの!」
「そうだよ!経験っていうのなら、美術館に行って世界的な画家の絵を見るのだって、何百年かに一度しか見れない彗星を見に、天体観測に行くのだって、富士山に登ることや、古代遺跡の発掘の様子を見学に行く事だって、全部経験じゃんか!リョウくんみたいに、旅に出ることだって経験じゃんか!でも、君らの中では、そういうのは経験って言わんだら?そんなの、自分達の価値観しか受け入れられない、視野の狭い人間じゃんか!そういう心の持ち方でいたら、どんな経験を積んだって、そこから色々な宝物を取りこぼしてしまうよ。僕は、そんな人間にはなりたくない!」
僕ら二人がずっとしゃべっている間、ヤンキーどもは、やっぱり馬鹿だから語彙が少ないようで、ろくな反論も出来ず、
「うるせえ!」
「死ね!バカ!」
「マジうるせえ!黙れや!」
「バーカ!バーカ!聞こえんわ!ああああああ!」
などの罵詈雑言しか言えなかった。
そうこうしている間に、僕らの大演説が聞こえたのか、他の生徒達や、先生達が近づいてくる気配がした。
ゴツオは、おそらく僕らの演説にうんざりしていたうえ、先生が来たら面倒だと思ったのか、
「ヘッ!バーカ!大体、何でタナカが出て来んだよ!おい、シラケたから、もう行こーぜ!」
と言って、かっつんとリュウちゃんを伴って去っていった。
奴らが去ってから、沢勉はホッとしたのか、
「はあああ…怖かったあ」
と、ため息をついた。
「沢勉、すごかったな。演説。お前、やるじゃん。あれなら、弁護士になれるよ」
沢勉は、くしゃくしゃになった不細工な顔を、さらに不細工にさせて、
「リョウくん、ありがとうな」
照れながら、言った。
答える代わりに右手を上げて、僕らは、力強くハイタッチした。