中学生が夏休みにヒッチハイクで一人旅に出た話

中学生がヒッチハイクで一人旅に出た話です。

一芸入試で高校受験

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 秋になると、クラスの空気はもう受験モード一色だった。

 ヤンキーの中でも、リキヤなどの上の階級のヤンキー達は、中途半端に高校に行くのではなく、鳶や何かの仕事に就くようだった。

 彼らを除けば、ほとんどの生徒達は完全に受験体制に入っていた。

 沢勉は当然、地域で一番賢い進学校を志望していて、毎日のように塾に通い始めた。

 そんな状況だったが、僕は、まったく受験勉強をする気がなかった。

 そもそも、受験勉強において一番重要な夏休みに、ヒッチハイクをしてフラフラ遊んでいたのだから、いまさら勉強して間に合うわけはない。

 僕は、将来は「旅人」になりたかったので、卒業後はアルバイトをしてお金を貯め、まずはインドを放浪するつもりだった。

 「旅人」という職業はないらしいということはわかっていたが、ともかく旅をして暮らしたかったのだ。

 そういうわけで、みんなが必死に勉強している中、ひとりボケーッと鼻くそほじってのんびり構えていたのだが、そんな僕を見て、担任の松浦先生は、さすがに心配してくれたらしい。

「田中。お前、本当に高校に行かないつもりか?」

「うん、行かねっス。」

「ウンじゃない。ハイだろ。高校に行かないで、何するんだ?」

バイトして、金ためて、インドに行くんス。」

「インド行くって言ったって、英語はどうするんだ?」

「俺、英語は結構成績良かったし。(五段階中、3に過ぎないのだが)」

「成績良くたって、所詮中学英語だからなあ。しかも、五段階中、3じゃないか。高校に行って、もっと勉強したほうがいいんじゃないか。」

「でも、あんまり勉強しすぎると、性格悪くなりそうだし。挨拶も出来ない東大生もいるって聞くし。(バカだから、本当にこんな風に思っていた。)」

「それは極端な例だ。勉強できるに越したことはないだろう。それに、中卒で、定職にも就かないで、将来はどうする気だ?」

「風の向くまま気の向くままに…」

「アホか」

こんなアホな僕を相手にして、さぞかし疲れたと思うが、松浦先生は、僕を何とか高校に行かせようとして、説得を続けてくれた。

「田中、小笠高校って知ってるか?」

「何それ?おいしいの?」

「だまれ。小笠高校は、県内初の総合学科で、単位制の高校だ。授業は必修科目以外は自由に選べて、自分が嫌いな科目はとる必要がない。しかも、英語の科目が充実していて、中国語やポルトガル語もとることができる。お前にぴったりだろう?」

たしかに、これは僕にぴったりだった。

わがままで協調性のない僕としては、興味もない科目に余計な時間を費やしたくなかったし、将来は世界中を旅したかったので、たくさんの外国語が学べる小笠高校はうってつけだった。

 ただ、ひとつだけ心配なことがあった。

「そんな高校があるんスか?そういうとこなら行ってもいいかも。でもさ、俺は受験勉強はしたくないし、今から勉強して間に合うわけないと思うんスけど」

「それが、大丈夫なんだ。この高校は、そんなにレベルが高い学校じゃない。一芸に秀でた生徒を欲しがっていて、一つでも優れたところがあれば、推薦入試で面接だけで合格できるんだ。」

「一芸って言ったって、英検で3級だか、2級だかを持っているとか、スポーツで全国大会に出たとか、そういうのでしょ。俺、なんのとりえもないもん」

何度も何度も言ってきて悲しくなるが、僕は勉強もスポーツもからっきしで、当然、すごい経歴も資格もない。

怪訝そうな顔をする僕に、松浦先生はこう言ってくれた。

ヒッチハイクがあるじゃないか」

なるほど、その手があったか。

というより、そんなことでも一芸に含まれるのかと思い、感心してしまった。

 たしかに、ヒッチハイクで日本列島をほぼ縦断した中学生は、そうザラにはいないだろう。

 それに、ヒッチハイクの話なら、何時間でもしゃべれるだろう。

 こうして、僕は小笠高校の推薦入試を受けることになった。

 以前、公会堂で講演をしたときのように、模造紙に日本地図を描いていき、それを指差しながら、旅の話を好き勝手に喋り散らしてきた。

 結果は…合格だった。

 合格したときは、なんだか不思議な気持ちだった。

 必死で勉強して勝ち取った合格ではないから、それほどうれしかったわけではない。

 中学1年生の時、僕はクラスから孤立し、下手をすれば不登校やひきこもりになってもおかしくない状態だった。

そんな僕が、ヒッチハイクの旅に出たことで、自信がつき、空気を読まない強さを得て、学校生活はつらくなくなった。

それだけではなく、受験そっちのけで旅に出て、高校に行くつもりもなかった僕が、ヒッチハイクの旅のおかげで、今こうして、高校の合格証書を手にしている。

ヒッチハイクは、僕に、たくさんのものを与えてくれた。

この旅が、僕の出発点であり、今も僕を支えてくれている。