旅から帰った地元の駅で
ゴウさん達と別れてから、涙でくしゃくしゃになった顔を、向かい風で乾かしながら、僕は家への道を歩いた。
たった一週間ばかりの旅だったけれど、見慣れたはずの地元の町は、今までとはまったく違った景色に見えた。
歩きながら、僕はこれまでの旅のことを思い出していた。
短い間だったけど、本当にいろいろなことがあった。
旅に出なければ、一生出会えなかっただろう人々の、様々な人生を見せてもらった。
たくさんの生き方があった。
親切な人。冷たい人。優しい人、怖い人。カッコよく生きている人、かっこ悪くても、がむしゃらに生きている人。幸せに生きている人、心に傷を抱えている人。夢に向かって生きている人。
きれいな景色もたくさん見た。
広島の平和記念式典では、初めて真剣に、この国の歴史や、戦争についても考えさせられた。
いろんな土地を見て、いろんな人と出会った後で見る地元の町は、なんだか、とてもちっぽけな町に見えたのだ。
「変わらねえな。この町も」
あたかも長年外国に住んでいて、久しぶりに故郷に帰ってきたようなセリフを、つぶやいたりして歩いた。一度やってみたかったのだ。
しばらくすると、地元の町の駅に着いた。
駅舎は古い木造で、さも田舎の駅というたたずまいで、なかなか雰囲気がある駅だ。
その駅舎とは対照的に、駅前はそれなりに開発が進んでいた。
近代的なビルがいくつか立ち並び、カラオケやコンビニ、飲食店などが軒を連ねている。
駅前は、僕達中学生にとっても遊び場の一つだった。
なんとなく、駅前のコンビニの方を見ると、案の定、リキヤや、ゴツオなど、元いたヤンキーグループの面々が、五、六人タムロしていた。
夏休みで、やることがなくて暇なんだろう。
だからといって、田舎じゃ選択肢も限られている。
仕方なく、こんなところでブラブラしてイキガッてるしかないのだ。
奴らは、相変わらず人を威嚇するような奇抜な格好をしていた。
集団でウンコ座りをし、通行人の邪魔になりながら、それでもヘラヘラ笑っていた。
「どうだ。俺達怖そうだろ。強そうだろ。その上、トンガッた服装しててカッコいいだろう。みんな、もっと俺達を見ろ。そんで、もっと怖がれ」
奴らの、低脳な思考が伝わってくる。
田舎の町では、家の周りには田んぼや茶畑ぐらいしかなく、農作業中のおっちゃんぐらいしか観客はいない。
奴らは自分の存在を誇示する為、わざわざ人通りの多い駅前まで出張してきて、ひたすらウンコ座りに励んでいるのだ。
遠巻きに奴らを見つめながら、僕の脳裏には、奴らと一緒に過ごした日々の出来事や、奴らの言動が、次々に浮かんでは消えていった。
どれもこれも、クソみたいな無意味な時間だった。
この、静岡県の小さな片田舎の、さらに小さな学校という社会の中で、それがすべてであるかのように、彼らは生きていた。
誰々の知り合いだとか、誰々と付き合っているとか、俺はどこどこの何々だとか、一歩町を出れば誰一人評価しないような、そんな下らないことがステータスになって、それにしがみついて生きているのだ。
僕は、たったひとりでヒッチハイクで北九州まで旅をした。
それが偉いことだとか、立派なこととはまったく思わない。
それによって、僕が奴らより優れているとも思っていない。
でも、旅をすることによって、おそらくは、奴らよりも広い視野を持つことが出来た。
それまでは、奴らは地域や学校の中ではかなり有名な存在で、生徒たちの間では恐れられており、地位もあって、とにかく圧倒的な存在感があった。
しかし、今の僕には、そんな彼らがものすごく小さな存在に見えた。
「なんだ、大したことないじゃん」
思わず、そうつぶやいていた。
しばらくぼけーっと奴らを見ていると、リキヤが僕の存在に気づいた。
「あれ…?植田か?」
すると、当然他のヤンキー達の視線が僕に集まった。
「えっ?あ、本当だ」
「植田だ」
「なんだアイツ、あんな格好して」
奴らは、よっぽど暇だったのか、僕の周りに集まってきた。
かっつんが、いつものように、ニヤニヤした顔で、
「なんだよ植田。その格好。登山家か?お前は」
と、リュックを背負った僕の旅装をおちょくってきた。
「あ、これか。旅に出てたんだよ。」
「旅ぃ?」
リキヤが怪訝そうな顔で聞いてきた。
「ああ」
「旅って何だよ。家出でもしただか?」
「そんなんじゃねえわ。ちょっと本当に、旅に出てきただよ」
「旅って、どこまでよ」
ゴツオも興味ありげに食いついてきた。
「北九州まで、な」
「北九州ぅ?」
リキヤもゴツオも、目を丸くして反応した。
九州は、静岡県の中学生にとっては、とてつもなく遠い土地だ。
そんな土地に、僕が行ってきたなんて、にわかには信じられなかったのだろう。
それからは質問攻めだ。
奴らは、この僕をハブり倒していたことも忘れ、根掘り葉掘り聞いてきた。
「電車で行っただか?」
「いや、そんな金ねえもん」
「じゃあ、どうやって行っただ?」
「ヒッチハイク」
「はあ?」
「ヒッチハイクって、あの猿岩石とかの?」
「そうだよ」
「ええー、車とか、本当に止まってくれるだ?」
「おお、結構止まってくれたよ」
「一人で行っただ?」
「うん、ひとりで」
「マジか?」
「お前、勇気あるらー」
「でも、結構楽しかったに」
「なんか、すげえら」
リキヤも、他の奴らも、僕がこんなことをやってのけるとは思っていなかったのか、めちゃめちゃ驚いている。
僕は、奴らのそんな反応が、なんだかこそばゆかった。
得意な気持ちもあったけど、なんだか面倒くさくなってきたので、早々に切り上げたかった。
「じゃあ、オレ旅で疲れたで、ウチ帰るわ」
僕がそう言うと、リキヤが意外な反応をした。
「植田あ」
「あ?」
「お前、明日とか暇?久しぶりに、みんなで遊ばん?」
「はあ?」
コイツは、ハブられていたとき、僕がどんな気持ちで耐えていたか、わかっているのか。
「いや、俺らもいろいろあったけんさ。そろそろつまらんことは水に流すで、またグループにもどって来りゃあいいじゃん。オレは細かいことは気にしんタチだでさ。また、みんなで楽しくやるか。旅の話も、聞きたいで」
出たよ。
これが、コイツのいつものやり方だ。
ヤンキー社会では、ヤンキー貴族たるリキヤにたてついたことは、決して許されないことだ。
だから、よっぽどのことをしない限り、追放された者が謝って許されることはない。
でも、ヤンキー貴族の側から、使えそうだと判断したら、許してやるのは気楽なことだ。
たっぷりお灸をすえて、すっかり大人しく従順になったであろう人間を、再びグループに入れるのは問題ない。
それに、こうすることで「怒ったら怖いけど、寛大なリーダー、リキヤくん」というキャラクターを周囲に認識させることが出来る。
僕をグループに戻すメリットは、もうひとつある。
おそらく、今の僕はリキヤにとって利用価値があるのだ。
中学生で、ヒッチハイク一人旅をしたなんて人間は、そんなにはいないだろう。
僕をグループに戻せば、
「オレのツレで、ヒッチハイクで一人旅した奴がいてさー」
というように、ネタとして披露することが出来、なおかつ、人脈の多様性をアピールすることが出来る。
誰とつながり、どんな知り合いがいるかがステータスとなる田舎の中学生のヤンキー社会では、こんなしょうもないことでも、効果を発揮するのだ。
でも、旅を終えた今の僕には、そうしたヤンキー社会での力関係など、どうでも良くなっていた。
「旅の話は、してやってもいいよ。でも、グループには、もう戻らないから」
「は?」
リキヤは、予想外の答えだったのか、意味がわからないという顔をしていた。
「お前、正気か?せっかくリキヤくんが、戻っていいって言ってくれてんのに」
かっつんが、甲高い声で言った。
「ああ。オレもう、そういうのどうでも良くなったで」
リキヤの顔が、みるみる不快そうな表情に変わっていった。
「お前、ちょっと旅してきたからって、勘違いしてるら?」
ゴツオやかっつん、その他のヤンキーも、態度を豹変させ、口々に僕を罵ってきた。
「調子コイテんなや!」
「ぶっさらうぞ!(ボコボコにするぞ)コラア!」
リキヤが僕の胸ぐらをつかんだ。
僕はリキヤを睨みつけ、思いっきりその手をはねのけた。
そして、いままで抱えていたものを吐き出すように、一気に怒鳴り散らした。
「お前らは、この狭いクソみたいな地元の町で、ずっとそうやってりゃあいいじゃんか。誰の知り合いだとか、誰と繫がってるとかばっか気にして、集団で弱い誰かをいじめて喜んでりゃあいいら!でもな、そうやって地元で力のあるヤンキーになればなるほど、お前らはこの町から離れられんようになるら。それは、お前らは、本当は臆病だからだ。誰もお前らが何様かは知らない土地で、自分自身のブランドだけで生きていく勇気がないからだ。せいぜい、若いうちにある程度暴れたあとで、齢をとって、妙に物分りが良くなってから、地元の安い居酒屋で、俺も昔は悪かったなんて、だっせえトークに華を咲かせりゃあいいわ。俺は、物分りのいい大人になんてならんぞ。そんなクソカッコワルイ人間にはならんぞ!世界のどんな土地に行っても、自分自身のブランドだけで、わがままいっぱいに生きてやるでな。そういう強さを、この旅で学んだだ!」
リキヤたちは、僕のあまりの剣幕に面食らった様子で、少し後ずさりした。
自分でもびっくりするぐらい、なめらかに舌が動いた。
こんなこと言ったら、またハブられ続けるに違いない。
それどころか、今度こそ袋叩きになるだろう。
でも、この時はそんなことも気にならなかった。
たとえ袋叩きの目にあっても、そんなの一時の苦しみだ。
殺されない限りは、ボコボコになるだけだ。
ボコボコにされたら、こんな町にしがみついてる理由はない。
そしたら、また旅に出ればいい。日本中が選択肢だ。
そう考えると、袋叩きすらあまり怖くはなかったのだ。
「じゃあ、オレはほんと疲れたで、帰るでな!」
言い切ると、僕は悠然と歩き出した。
意外にも、奴らは、袋叩きはおろか、罵詈雑言すら浴びせてこなかった。
ただ呆然と、僕を見送るしか出来なかったようだ。
僕は、大きく息を吸い込み、照りつける真夏の太陽を仰いで、胸を張って家に帰った。