中学生が夏休みにヒッチハイクで一人旅に出た話

中学生がヒッチハイクで一人旅に出た話です。

地域の人々を相手に講演

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「沢勉、俺ダメだわ。やっぱお腹痛くなってきた」

「ええっ!さっきトイレ行ったばっかじゃん。今さら、もうどうしようもないよ。」

「無理無理!沢勉代わりにやってや」

「そんなこと出来るわけないじゃん。もう、腹くくりなよ」

 舞台袖のあたりで、沢勉と一緒にこんなやり取りをしていた。

 一人ではあまりに心細いので、沢勉に舞台袖までついて来てもらったのだ。

 ついこの間まで、友達も少なく、人とコミュニケーションを取ることさえ苦手な僕だったのに、成り行きで講演させられるようになってしまうなんて。

講演会場には、四十人から五十人くらいの人数が集まっていた。

 ほとんどは、四十代以上で、大体僕ら中学生の親世代の人々が中心だった。

 ヤンキー連中とつるんでいた頃は、毎日奇抜な格好をして、地域を我が物顔で闊歩していたから、この年代の人々には、いつも不快そうな顔で見られていた。

 そういう人々が、今度は僕から面白い話を聞こうと、首を長くして待っているのだ。

「沢勉、マジ無理。ウンコたれるわ」

「観念しなって。ちゃんとカンペまで作ってきてるんだから。何話してるかわからなくなったら、こっち見ればカンペあるで」

「で、でも…」

「もう!面倒くさい。さ、行きな!」

 沢勉は、少々乱暴に僕の背中を押した。沢勉に押されて、僕は強制的に壇上に出された。

 緊張のし過ぎで、手と足が両手に出てしまい、そのうえ、ウンコを我慢しているので歩幅が妙に小刻みになってしまった。

―やっべえ、ぜったい失笑だよコレー。

 と思っていたが、僕が壇上に上がると、会場は温かい笑いと拍手で迎えてくれた。

 僕は、そんな会場の雰囲気に元気付けられ、前日用意した、日本地図に旅で訪れた土地や出来事をカラフルにまとめた模造紙を広げ、ホワイトボードに貼った。

 そして、少し緊張しながら、旅の話をはじめた。

 旅に出ようと思ったきっかけ、旅で出会った人々のこと、訪れた土地や、広島平和記念式典に参加したことなど、つたない説明だったろうけど、一生懸命話した。

 いつしか、お腹の痛いのも忘れていた。沢勉が作ってくれたカンペも、一度も見ることはなかった。

 どの顔も、優しい顔で、だけど真剣に、最後まで僕の話を聞いてくれた。

 僕の話が終わると、割れんばかりの拍手が起こった。

そんななか、聴衆の中にいた一人のおじいさんが、突然立ち上がった。

会場のすべての視線が、おじいさんに注がれた。

 おじいさんは、七十歳から八十歳くらいで、立っているのもやっとに見えるほどだったけど、必死に声を絞り出した。

「わしはな、戦時中は戦地に行ってただよ。」

 この一言で、会場の空気が変わった。

 場内は、水を打ったような静けさにつつまれた。

 おじいさんは、続けた。

「戦地では、何度も死ぬような目にもあったし、つらい思いもしたやあ。戦友もたくさん死んだなあ。そいでもねえ、日本を守るために、必死で戦っただよ。戦争が終わってからも、日本の将来のため、子供たちの未来のためと思って、一生懸命働いてきたに。そうやって、たくさんの人々が頑張って、あの焼け野原から、日本はここまで豊かになっただら。」

おじいさんは、昔を思い出したようで、声をつまらせながら話した。

「でもなあ、近頃の若いもんを見てると、礼儀知らずで、不甲斐無くて、自分のことばっかり考えるようなもんが多くて、情けなくてやりきれんかったやあ。わしらは、なんのために頑張ってきたのかと思うことも何度もあっただよ。こんな奴らに楽をさせるために、死ぬ思いで国を立て直してきたのかと思うとなあ。」

 僕は、話を聞きながら、自分が怒られているような気がしていた。

 僕こそが、そんな、礼儀知らずで不甲斐無い若者だったからだ。

 こういうおじいさんたちが、必死で立て直してくれた街を、なんの苦労もしてないくせに、偉そうに奇抜な格好をして、我が物顔で闊歩していたのだ。

「だけんなあ、 今日ここであんたの話を聞いて、少しは気持ちが楽になったやあ。このままじゃ、この国はお先真っ暗だと思ってたけんね。あんたみたいに、勇気があって、冒険心に富んで、広島にも行って戦争のことを見てきてくれた子供がいると知って、本当にうれしかったやあ。そういう子がたくさんおれば、日本はまだ大丈夫だら。今日は、楽しいお話をありがとう。」

 僕は、そう言われて、思いっきり頭を下げた。

 会場からは再び拍手が巻き起こった。

 そんな中、僕は恥ずかしさでなかなか頭が上げられなかった。

 頭を上げたら、涙で顔面がすごいことになっていることがバレてしまうからだ。

 僕は、本当は、七十年も八十年も生きて、戦争まで体験した人から、こんなことを言ってもらえるような人間じゃない。

 勉強もスポーツも出来ず、それどころか、ヤンキーの真似事をして、地域の大人たちにも迷惑をかけていた、どうしようもないガキだった。

 そのうえ、そんなヤンキーの真似事にも嫌気が差して、学校が嫌いになり、逆恨みして勝手に学校や地域から逃げ出す為に、旅に出ただけだった。

 しかも、夏休みの宿題をごまかすために提出した旅日記が、どういうわけか話題になって、今こうして偉そうに壇上に立っているのだ。

僕は、どう考えてもろくでもない人間で、まるでペテン師だ。

おじいさんから頼もしく思ってもらう資格など、少しも持ち合わせてはいないのだ。

 うれしさと恥ずかしさが入り混じってわけがわからない感情になった僕は、顔を隠しながら、急いで舞台の袖に引っ込んでいった。

 会場では、とても暖かい拍手が、しばらく続いていた。