松浦先生
それ以来、すっかり僕の周りの状況が変わってしまった。
学校生活は毎日楽しくなったし、なにより、自分が「特別な存在」になった気がして、自信を持って行動することができるようになった。
三年生になると、クラス替えがあった。
残念なことに、今度のクラス替えでは、沢勉と違うクラスになってしまった。
「別のクラスになっちまったなー」
そうつぶやく僕に、沢勉は、
「リョウくんは、有名になったし、普通の友達もたくさん出来たで、もう大丈夫だら」
と言ってくれた。
でも、僕はやはり不安だった。たしかに、以前に比べれば、少しは友達が出来た。
とはいえ、まだまだ僕は、人とコミュニケーションを取ることに苦手意識を持っていたのだ。
不安の種は、もう一つあった。
というのも、新しいクラスは、男子のほとんどがサッカー部員という、おかしな構成だったのだ。
サッカー部と言えば、僕がもっとも苦手とする、スポーツマンタイプの活発な男子達の巣窟だ。
こういう人種は、ヤンキーほどではないにしろ、僕の敵と言っても過言ではない。
僕はとにかく、明るくて自信満々な奴が大嫌いなのだ。こんな奴らに囲まれて、果たして楽しい学校生活が送れるだろうか。
そうした不安とともに、新年度は始まった。
担任は、二年生の頃と同じで、松浦先生だった。
この松浦先生がサッカー部の顧問だったため、こんなヘンテコなクラス構成になったのだ。
考えてみれば、松浦先生も変わった先生だった。
僕が旅に出ると言い出した時も、こちらが拍子抜けするくらい簡単に許してくれた。
いくら親が許可しているとはいえ、普通の先生だったら、きっと反対することだろう。
僕がもし、担任の先生だったとしたら、絶対に許可しない。
何かあったら、担任の責任問題にもなるだろうから、こんな面倒なことは必死で思いとどまらせることだろう。
でも、松浦先生は許可してくれた。
この先生が担任じゃなかったら、僕の旅は計画倒れに終わっていた。
そんな松浦先生が、教師になったきっかけについて、話をしてくれたことがある。
先生が大学生の頃、教職に進むか、一般企業に就職するかで悩んでいた。
そんな折、教育実習をすることになった。
とりあえず実習をしながら、自分が教師に向いているかどうかを、深く考えてみようということになった。
先生の実習先は、地元の小学校だった。
先生は、低学年のクラスを担当することになった。
そのクラスには、どこにでも必ず一人はいる、いたずら好きなヤンチャ坊主がいた。
先生がはじめてドアを開けて教室に入った時は、黒板消しが落下してくるという古典的ないたずらで迎えられた。
それ以降、先生とそのヤンチャ坊主との攻防戦が始まった。
ヤンチャ坊主は、来る日も来る日も、様々なトラップを考案し、先生を襲撃した。
先生も、時にはヤンチャ坊主を出し抜いて、トラップを回避することがあった。
そんなある日、体育の授業でのことだ。
ヤンチャ坊主は、先生が通りそうなところに、あらかじめ落とし穴を掘っておいた。
先生は、まんまとトラップに引っかかって落とし穴に落ちた。
ヤンチャ坊主は大喜びだったが、所詮は子供が作った落とし穴だ。
落とし穴が小さすぎて、先生は尻餅をつくこともなく、靴が少しだけ泥まみれになった程度だった。
いつも罠に掛けられて、少々頭にきていた先生は、少しからかってやろうと思ったのだろう。
ヤンチャ坊主にこんなことを言ったそうだ。
「やれやれ、やっぱりやることが子供だなあ。どうせ落とし穴を掘るんなら、先生が全身すっぽり入ってしまうくらい、深い穴を掘らないと。こんな小さな落とし穴じゃ、足を挫くこともないし、全然面白くないよ」
ヤンチャ坊主は、悔しさで顔を真っ赤にして怒ったそうだ。
その夜、事件が起きた。
ヤンチャ坊主の保護者から学校に連絡が入った。
もう夜の十一時だというのに、ヤンチャ坊主が家に帰っていないというのだ。
警察にも当然、連絡が行き、警官と教職員、それに、地域の大人も総出で、あたりの捜索を行なった。
松浦先生も当然、捜索に加わった。
「まさか、俺があんなことを言ったから、思いつめて…。いや、でもあいつはそんなタマじゃないし…。とはいっても、まだ子供だし…」
などと、少しパニックになりながら、ヤンチャ坊主を捜索したらしい。
捜索は、朝まで続き、ヤンチャ坊主は無事見つかった。
彼は、意外なところにいた。
ずっと、小学校のグラウンドの隅っこにいたのだ。
まさに、灯台下暗しだ。
先生は、
「みんな、心配したんだぞ。あんなところで、一体何をしていたんだ?」
と聞いた。
すると、ヤンチャ坊主は泥だらけの顔で、笑いながらこう言った。
「先生がすっぽり入るくらい、深い落とし穴を掘ってやろうと思って」
彼は、胸を張って、誇らしそうにそう言った。
この瞬間、先生の進路が決まった。
先生は、このヤンチャ坊主のような、いたずら小僧たちの為に、こんないたずらに本気で付き合ってやる為に、人生を教職に捧げようと決意したという。
先生にとっては、僕もこのヤンチャ坊主と同じような、いたずら小僧の一人だったのだろう。
だからこそ、自分に責任がかかることを覚悟して、僕の旅を笑って許してくれたのだろう。
保守的で、事なかれ主義の先生が担任でなく、この先生が担任で本当に良かった。
少し大げさに言えば、先生は教師生命をかけて、僕のいたずらに付き合ってくれたのだ。